学会の再出発にあたって

 今回あらためてアジア教育史学会が出発する。その時にあたって思いを述べておきたい。
 田中登作が『亜細亜諸国教育一斑』を出版したのは明治25年のことで、今から百年以上も前のことである。その中には、朝鮮、中国は当然としても、東南アジア、南アジア、中央アジア、トルコ、シベリアの諸地域の教育が記録されている。その内容はともかくとしても、この時期にすでに、ここまで広範な関心があったことに驚きを感ずる。
 今の私たちは、この旺盛な知識欲に対応できるような教育学的方法を持っているだろうか。また、その知的関心に答えられるような研究方法を見つけて、それだけの調査・研究をしているだろうか。私は忸怩たるものを感じざるをえない。
 いや、昨今の教育史研究についても、戦前の研究や調査の水準を超えるものができただろうかとさえ思う。最近のアジア教育史研究では、手近な調査資料を使ってすませてしまい、自らの手や感覚で現地を調査した上で資料を使うということが必ずしも多くはない。そのために、時には何か寒気を感ずる論文を見ることもある。まずは自らの手で現状をつかんで資料と結び付け、その上で歴史を批判する能力を養うという、当たり前のことを当たり前にしなければならない。
 それにはただ資料に書かれていることを読むだけでなく、例えばその資料がどのような綴りの中にあったのか、どのような棚の上にあったかということから、またどのような人が、どのような思いで書いていて、それを誰がどのように持っていたのかという、一見関係のなさそうなことを知る必要があるのではないか。そうした私たちの日常の生活感覚の上にこそ、教育史研究が成り立つのではないだろうか。
 ただ資料を闇雲に集めて、その時代の教育を批判しようとするのでは、やはり良い結果は出ないだろう。そこに携わった人々が、時代の中でどのような生活をしたのか。どのような判断を強いられたのか。それを知った時に、ようやく教育史の研究が始まる。それならば私たちも生きた人間の一人として、自分の感覚を知る必要があろう。昔の人々は今の私たちに分かりやすい資料を残してくれるはずもないから、私たちはもう一度、そうした研究の基礎、自分の感覚にもどる必要があるだろう。
 学会が再出発しようと言うときに、一人の人間として研究の感覚を取り戻したいと願っている。

会 長 槻 木 瑞 生